こんばんは!北海道コンサドーレ札幌をひっそりこっそり熱烈に応援している、たにです。
やりました。本当にやってくれました!
本日11月24日、J1第33節でジュビロ磐田に2-0で勝利!この結果、最終節に勝利すれば、自力でのACL(AFCチャンピオンズリーグ)出場権獲得が決まるという、歴史的な状況になりました。
- スコア : 2-0でコンサドーレ札幌が勝利!
- 得点 : オウンゴール、三好康児選手のスーパーミドル!
- 結果 : J1リーグ4位をキープし、ACL出場に王手!
ここ数年のコンサドーレの快進撃には、本当に勇気と感動をもらっています。このサクセスストーリーを一人でも多くの人に知ってもらいたくて、クラブのこれまでの歩みを振り返ってみることにしました。
苦難の始まりと「聖地厚別」
コンサドーレ札幌は、1996年に北海道初のプロスポーツクラブとして誕生しました。1998年からJリーグに参戦するも、その年にJリーグ史上初の「降格」を経験します。理不尽とも言えるレギュレーションの中での、悔しい降格でした。
しかし、翌々年の2000年。元日本代表監督の岡田武史さんを監督に迎え、圧倒的な成績でJ2優勝。見事J1復帰を果たします。この頃のホームスタジアム「厚別公園競技場」は、数々の劇的な勝利から、今でもサポーターの間で 「聖地厚別」 と呼ばれています。
エレベータークラブとしての長い停滞期
2001年には初のJ1残留を達成するも、これはその後16年間達成できない高い壁となりました。
2002年に再びJ2へ降格すると、クラブは経営危機に陥り、J2で最下位を経験するなど、まさに「0からの再出発」を余儀なくされます。
その後は数年おきにJ1へ昇格しては1年で降格する、いわゆる 「エレベータークラブ」 としての地位を確立してしまいました。特に2012年のJ1挑戦では、年間わずか4勝、総失点88というワースト記録を更新し、サポーターにとっては辛い時期が続きました。
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「北海道とともに、世界へ」野々村社長の大改革
2013年、クラブOBの野々村芳和さんが社長に就任したことで、クラブは大きな変革期を迎えます。
野々村社長は、クラブの危機的な財政状況をサポーターに正直に説明し、「応援するだけでなく、一緒にクラブを作っていこう」と呼びかけました。そして、「北海道とともに、世界へ」という壮大なビジョンを掲げ、次々と新しい挑戦を始めます。
- アジア戦略(レ・コン・ビン選手、チャナティップ選手の獲得)
- レジェンドの獲得(小野伸二選手、稲本潤一選手)
- 総合型地域スポーツクラブ化(女子、バドミントン、カーリングチームの発足)
こうした改革が実を結び、2016年にはJ2優勝。そして2017年、四方田修平監督のもと、ついに 16年ぶり2度目のJ1残留 を達成したのです。
そして冒険は、最終章へ
残留を決めた2017年の最終戦セレモニー。野々村社長は、サポーターの前でミハイロ・ペトロヴィッチ氏(ミシャ)への監督就任オファーを発表します。この大きな決断が、翌年の大躍進へと繋がりました。
そして2018年、「冒険コンサドーレ」を合言葉に始まったミシャ体制の今シーズン。
J1第33節を終えて、15勝9分9敗、勝ち点54の4位。
最終節、12月1日(土)のホーム最終戦。サンフレッチェ広島に勝利すれば、3位以上が確定し、来シーズンのACL出場が決まります。
「今まで見たことのない、新しい景色をみんなで見に行こう」
野々村社長が語った夢が、今まさに現実になろうとしています。冒険の集大成となる一戦。あなたも一緒に、その先の景色を見に行きませんか?
さあ、みんなで行くぞACL!